33歳、女性です。おせち料理の記憶は、小学校3年生くらいなので、もう24年も前のことになります。
我が家で初めておせち料理を食べたのは、小学3年生のお正月
小学3年生頃、お正月におせち料理が出てきました。祖父母の家に挨拶に行くとおせちが必ずあったので、おせち料理のことは知っていたのですが、我が家でおせち料理が出てきたのは初めてでした。
祖父母の家では、お皿に盛られて好きなものを取って食べるシステムなのですが、我が家のおせち料理は、ちゃんとお重箱に入っていました。
「あけましておめでとう」と家族なのに、いつもと違う挨拶をする特別な朝。元旦の朝ご飯はいつもお餅でしたが、その日はお重箱に入ったおせち料理も並んでいました。家でおせち料理を作ってみた、と母が言いました。
おせち料理の一つ一つに意味があると教わり感動、よろこんぶ~♪
母はおせちのお重にも意味があることを教えてくれました。そして、中に入っている料理一つ一つに願いが込められてるのだということも教えてくれました。真面目に切々と語ってくれたわけではないですが、料理に意味があるというのが面白く、説明の途中で自分の好きな料理の意味を聞いたりしました。
我が家のお節には入っていないけれど、祖父母の家に行けば出てくるものについてもあれこれ聞きました。農家の祖父母の家で出てくるおせちには、「五穀豊穣」や「豊作」を祈るものが多かったように思います。
大好きなかまぼこが「めでたい」というだけで、ご利益がないというのにちょっとがっかりしたのを覚えています。それでも弟と二人で「よろこんぶ」と言いながらおせちを食べるのは楽しかったです。
冬休みの宿題が、我が家でおせち料理を作るキッカケに
小学生の宿題「冬休みの友」という冊子の中に、おせちにはこんな意味がある、おせちで何を食べたか書き出してみよう、という内容のページがあったそうです。母はそれを見ておせちを用意してくれたのだと、大人になって知りました。
それから毎年、おせち料理を食べました。高校入学くらいまでは、元旦にお重で出てくるおせちを食べ、家族で「よろこんぶ」というのが恒例になっていました。
しかし、高校3年の時、母が「もうお皿で出しても良いね」と言い、それからお皿に盛られるようになりました。その時、初めて母が私たちにおせち料理という、受け継がれてきた文化を教えてくれていたのだと気づきました。
今は結婚して、夫と二人で暮らしています。一日の食べきりサイズですが、夫婦でもお重に詰め、二人で来年の願いを考えながら食材を買い、おせちをお重に詰めています。
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