正月のおせち料理が作れないことに罵倒する姑。両親まで馬鹿にされ、悔しい

鬼の姑

44歳、女性です。当時29歳だった私は、1度目の結婚をしました。その時の男性は一人っ子だったので当然のように同居です。

姑におせち料理の買い出しを頼まれるも、食べたことも作ったこともなく困惑

義父母とも健在でしたが、姑は乳がんを患っていて台所には立てないという状態でした。姑と折りが合うわけではありませんでしたが、仲が悪かったというわけでもありません。

そんな中、初正月を迎えるという時の年末に正月の準備をしようということになり買い出しへいきました。結婚するまで、三が日は家でついた餅を焼いて食べるというもので「おせち」という代物に出会ったこともないのです。

「紙に書き出すから、買ってきてちょうだいね」と言われ、メモを片手にスーパーへ向かいました。しかし、その材料が「おせち」になるものだとは知らずに買っていたので全てが、不思議食材でした。

姑からおせち料理を教えてもらうも納得してもらえず…悔しいし情けない

買ってきた食材をテーブルに並べその後の指示を待っていると「どうしたの?作っていいのよ」作ったことも食べたこともない物を作れと言われてもできるわけがありません。

その旨を伝えると、堰を切ったように出てくる言葉は私を含め実家の家族を罵倒するような内容のものでした。言い返したところで、この家で勝てるわけもありません。

ただ我慢し、教えを請いできた「おせち」に納得してもらえるわけもなく、怒りと悔しさと情けなさとが入り混じったまま初正月を迎えました。それから離婚するまで「おせち」は毎年作り、そのたびに思い出すという正月を迎えていました。

松前漬けも煮豆も煮しめも作り方を覚えていますが「おせち」という言葉を見聞きしただけで嫌気がさします。「昔の人たちは全て作ったのよ?できないの?あなたのご両親は何を教えてきたのかしら?」と半笑いで責められたあの時の気持ちは消し去ることはできません。

いじわる姑とはさよなら。正月のおせち料理は買って過ごします

一説では正月三が日は、かまどを休めるということから「おせち」が始まったと聞いたことがあります。料理にも一つ一つ意味があるとか。ですが、現代ではかまどを見ることはあまりないですし、正月に食べなくてはならない料理としては時代遅れのようにも感じてしまいます。

好んで食べたいと思えるような料理がある訳でもなく、行儀が悪い「迷い箸」になってしまいがちです。高級レストランの「おせち」とか有名ホテルの「おせち」だとか毎年のように紹介されていますが、もっと簡単にもっと食べやすい料理で正月を過ごしてもいいのではないでしょうか。

再婚した相手の姑は「おせち」を作ると面倒だから買って過ごしましょうという人たちなので幸せです。主人は「おせち」は苦痛でしかないと毎年言っています。「おせち」を作る人も「おせち」を買う人も正月を迎えることには変わりなく自分のスタイルで行ってもいいのでは?というところが正直な感想です。

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